インドの神様も仏像のように座禅を組んでいるのはなぜなのか?
ヨガとの共通点などもインドの宗教の歴史とあわせて紹介します。
インドの宗教の歴史
現在のインドの宗教は、国民のほとんどがヒンドゥ教に属します。
その次にイスラム教徒が多い国です。
インドの信仰は?
世界の三大宗教のキリスト教、イスラム教、仏教ですが、ヒンドゥ教は仏教徒よりも実は人数が多く、世界の仏教徒が約3億8千人に対してヒンドゥ教徒は約9億1千万人です。
インド国内の信仰はヒンドゥ教徒が79.8%でイスラム教徒は14.2%を占めています。
US IRFレポート2016は、インドの2011年国勢調査によるとして、次のように伝えている。
インド:宗教的少数派 – 法務省
ヒンズー教徒は総人口の79.8パーセント、イスラム教徒は14.2パーセント、キリスト教徒
は2.3パーセント、シク教徒は1.7パーセントをそれぞれ構成している。合算しても人口の1
パーセントに満たない集団には、仏教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒[Zoroastrians]
(パールシー教徒)、ユダヤ教徒及びバハーイー教徒(Bahais)が含まれる。
ヨガとインドの宗教の関係性や起源
インドの宗教ヒンドゥ教(ヒンズー教)とヨガとでは、ヨガの方が起源が古く、ヨガの起源は約4500年前のインドと言われています。
瞑想坐禅をする陶器の像をはじめ、ヨガのようにあらゆるポーズをした像が発見されています。
宗教の前にヨガ(ヨーガ・YOGA)が存在したわけです。
この『座禅(坐禅)』という言葉は仏教の禅宗の瞑想方法の言葉ですが、ヨガがルーツにあるわけです。
南インド出身の達磨僧(ダルマ)が中国にわたり、中国の唐代末期に坐禅修行を中心に行う禅宗を形成していった。
それまでも仏教では坐禅を行なっていたが、坐禅修行に重きを置いた達磨を祖とした禅宗ができた。
鎌倉時代に中国に渡った道元禅師が日本に座禅をより深く広めました。
これが日本の『禅』のルーツです。
座禅やマインドフルネスなど、座って瞑想をするという行為はヨガが起源となります。
ヨガと座禅(仏教)の違いは?
ヨガは基本的に体をほぐし呼吸を整え大自然と一体になることを目的に行います。
座禅は瞑想して呼吸を整え精神を集中し無の境地にいたり『悟る』ことを目的としています。
結局はヨガであれ座禅であれマインドフルネスであれ似ている心身の状態になります。
ヨガとカルト
ちなみにヨガや座禅瞑想にカルト的な要素が入ってくると、それはもう瞑想でもなんでもなく欲や妄想の塊なんじゃないかなと思います。
いわゆるスピリチュアル系に興味がある人は超人的な能力の開花などカルト要素が強いものに興味があるかもしれませんが、本来のヨガも座禅瞑想もそのようなカルト思考のものではありません。
ヨガ教室だと思っていたらカルト宗教だったという話もなくなはいです。
ヨガや瞑想は自分と向き合うことが目的なので集団でやる必要はないです。
ヒンドゥ教の歴史
インドの宗教の歴史は古く、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてまとめられたヴェーダと呼ばれている一連の宗教文書が元になっています。
これは神話のようなものがいくつも書かれており、そこに宗教思想や倫理観が含まれています。
映画などでもインドの精神として描写されているのはヴェーダの教えが元となっています。
インドの宗教の起源はインダス文明まで遡りますが、紀元前10世紀頃にアーリア人が北インドの移住してきてヒンドゥ教の前身となるバラモン教を作ります。
このバラモン教はアーリア人が考えた宗教思想にもともとインドにあった民族宗教や民間信仰(土着信仰)を巧みに取り込んでいます。
バラモン教には司祭階級バラモンを最上位階級とした強いカースト性があったため、ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)は別の宗教思想を築き上げそれが仏教となりました。
バラモン教やインド神話には「使命を全うする」という要素が強く残っています。
だからインド映画では使命を背負った主人公が活躍する作品が多いです。
インド映画は最後はヒーローが敵を打ち負かす要素が強く、そういうところが仏教や和の文化である日本の倫理観との大きな違いです。(どちらが善い悪いかは別として)
映画『マトリックス』はヴェーダの教えを元ネタにしながら敵と戦いますが、「その一番の敵は自分自身だった」というところがまさにヴェーダの教えなんですね。
インドで生まれた仏教のはじまり
仏教はインドで生まれた宗教です。
日本では仏教徒が多いですが、そもそも仏教は外来宗教です。
ゴータマ・シッダールタはシャーキャ族(釈迦族)出身の王族であり満たされた暮らしをしていたが、人生の無情や苦痛を痛感したゴータマは29歳で王族の地位を捨てて家を出た。
このエピソードから、修行のために家を出ることを出家というようになった。
ゴータマが修行で行った座禅瞑想はヨーガそのものですね。
仏教の聖地はインドのブッダガヤ(インド北東部ビハール州、ガヤー県)です。
釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた地と言われています。
同じ古代ヨーガをルーツにしながら、ヒンドゥ教と仏教が大きく違うのはカースト性の有無や倫理観に違いがあります。
全く違うのではなく共通する部分もあるのが興味深いところです。
仏教の仏や菩薩は、ヒンドゥ教の神様が由来のものが多く特徴が共通しています。
例えばシヴァ神は大黒天へと姿を変えています。
一時期のインドではバラモン教を凌ぐ勢いで仏教が栄えましたが、6世紀ごろから土着信仰が強くなり仏教の破壊が始まりました。
争いを好まない仏教徒は東南アジアに逃げます。
10世紀頃にはインドにイスラム教がインドに入ってきて仏教はさらに打撃を受け壊滅状態になります。
現代のヒンドゥ教は宗教であって宗教ではない土着的な信仰です。
日本の神道と感覚的には同じです。
その土地で生まれ育った人が自然と身につける宗教感や信仰です。
仏教が修行や悟り・作法が必要なのに対して、土着信仰はそのような行為がないので自然と宗教観が身につきます。
ということでインドに住む人は現代でもインドの古代からルーツを持っているヒンドゥ教やインド神話を篤く信仰しているわけです。
ヒンドゥ教の聖地は?
ヒンドゥ教の聖地は、ガンジス側の中流にあるバラナシです。
ヒンドゥ教徒はもちろん、信仰や教徒を問わず世界中から多くの人が訪れます。
インドのタージマハールは?
総大理石のタージ・マハールが有名ですが、この建物はムガール帝国の第五代皇帝シャー・ジャハーンが妻ムムターズ・マハルの墓として建てました。
インドのイスラム文化の代表的な建築物です。
インドと日本の信仰の関係性も深く調べていくと興味深くおもしろいです。
ガンダーラはどこにあった?
ガンダーラは、現在のパキスタン北西部に実在した古代王国です。
1世紀から5世紀ごろには仏教が栄えすばらしい仏教美術(ガンダーラ美術)が残されています。
ガンダーラ(中国語: 健馱邏、犍陀羅、巴: Gandhāra、梵: Gāndhāraḥ)は、現在のパキスタン北西部に存在した古代王国。首都バクラームなどを中心に栄えた。カーブル川北岸に位置し、その西端は現在のアフガニスタンの首都カーブル付近まで、東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していた。ガンダーラ王国は紀元前6世紀から11世紀に存続し、1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた。
天竺とはどこにある?
中国の物語『西遊記』にも登場する天竺とはインド全土のことを指しており、インドの旧名だそうです。
現在のインドの国土とは一致せず、東南アジアも含めて天竺と言っていたようです。
ちなみに日本はキリスト教伝来もインド経由で入ってきます。
興味深いところです。