新しい宗教観がもたらす宗教・宗派を超えた世界観
SBNR(Spiritual But Not Religious)=「宗教的ではないがスピリチュアル」という思想が広まりつつある。
気軽に海外に行けるようになった現代ではこのSBNRの感覚は非常に大事ではないかと思う。
SBNRとは「Spritual But Not Religious」の略で、日本語では「宗教的ではないがスピリチュアル」という意味です。 特定の宗教への信仰を持たないが、物質的な豊かさ以外の精神的な豊かさを求める信仰的スタンスを指します。
アメリカ人の5人に1人が当てはまる「SBNR」とは?
アメリカ人の5人に1人はSBNRにあたるという。
特定の宗教への信仰心はないがスピリチュアルなことに興味があること、またはその思想を持った人のことです。
例えば、海外の人が日本の神社やお寺に興味を持ち観光をしたり、実際に座禅・瞑想をしたり、写経をしたりといった体験をしたりする。
神道も多くの仏教も、宗教宗派に関係なく体験を受け入れていたりする。
また通常の仏教宗派であれば他の宗教を学んだり触れても全く問題はない。
欧米人がヨガやマインドフルネス(瞑想)に興味を持つ人が多いそうです。
信仰に関係なくエクササイズや学びとして体験し、メンタルヘルスを整えるのです。
ヨガや座禅の本質は、呼吸を整え無心になり宇宙とのつながりを感じることです。
オムニズム(Omnism)とは?
オムニズム(Omnism)とは、あらゆる宗教を尊重する信仰です。
この信仰を持っている人をオムニストといいます。
SBNRと似ていますが少し違います。
この思想について書かれた日本語の記事はほぼ見当たりません。
この言葉を作ったのはイギリスの詩人、フィリップ・ジェイムズ・ベイリー(1816 年 4 月 22 日 – 1902 年 9 月 6 日)です。
人類が海を渡り異国へ行けるようになってしばらく経った19世紀頃に始まった思想ということです。
オムニストであると表明している著名人に、エレン・バースティン、ジョン・コルトレーン、カイリー・アーヴィング、Chris Martin、シャキール・オニールがいます。
参照
Omnism
宗教の歴史について調べていくうちに『オムニズム』という言葉を見つけました。
日本ではヒンドゥ教を知っている人は少ないですが、仏教とゆかりのある宗教です。
インドの神様のガネーシャやサラスヴァティやシヴァ神などはなんとなく知っている人もいるでしょう。
これらのの神々が転じて日本では弁財天や大黒天などの神様や仏様になっています。
ハトマ・ガンディー(1869年 – 1948年)もオムニストでした。
ちなみにガンディーが影響を与えた著名人には、マーティン・ルーサー・キング、バラク・オバマ、ダライ・ラマ14世、ネルソン・マンデラ、スティーブ・ジョブズ、ジョン・レノンなどが挙げられる。
オムニズムの語源の由来は?
オムニズムの『Om』は『オーム(Om,aum)』が由来だと思ったのですが、それだけではないようです。
オームにはそもそも『すべて』『完全』と言う意味でラテン語の『aumnie(アムニ)』が語源です。
オムニズムの語源の由来は確認できませんでしたが、おそらくオムニバスのオムニが語源にあると思います。
オムニバスはもともと「すべての人のために」という意味があり、ラテン語のオムニには「すべての」という意味があります。
そこから派生して乗合馬車をオムニバス(omnibus)と言うようになったそうです。
バス(bus)の語源はこのオムニバスだったというわけです。
ちなみにomnipresentは偏在という意味です。
omnibus は、もともと「すべての人のために」を意味するラテン語。そこから派生して「乗合馬車」を意味する単語になりました。
オムニバス(omnibus)の語源とは? – Fragments
私の場合、いろんな宗教・宗派に興味があったので、SBNRでもオムニズムでも、どちらの考えも共感できました。
筆者はSBNRやオムニズムが現代の新しい宗教観として、今後はもっと認識されていくのではないかと考えています。
国や宗教の争いがない平和な世界を築くには、それぞれの宗教を尊重するフラットな価値観も必要だと考えます。
ベースとなる宗教を信仰しつつ他の宗教も尊重するタイプと、ベースとなる宗教はないが精神性、神聖はあると信じ探求するタイプができるのかなと思う。
息が合っている様子を「阿吽の呼吸」と言いますが、この「阿吽」もオームが由来の言葉です。
マインドフルネスはあやしい宗教?瞑想やヨガや坐禅との違い
マインドフルネスは「宗教や信仰やスピから離れたい」と思っている人にはひとつのよい方法でしょう。
呼吸をしない人なんていないのですから、ときには落ち着いてただ呼吸をしてみましょう。
マインドフルネスにそもそも宗教的な要素やスピリチュアルの要素を連想したり持ち込むこと自体がナンセンスです。
例えば、エクササイズや筋トレが宗教ではないように、ただ呼吸をするだけの呼吸法(瞑想)に宗教色を持ち込んだり考えたりするのは少し違います。
もちろん個人の信仰の自由があるので、何か信仰があるなら瞑想をその信仰に合ったスタイルでやるのは個人の自由です。
ヨガは無宗教と思われがちですが、ヨガとなるとヒンドゥ教由来の瞑想行為です。
マントラを唱えるヨガもありますので、そういった宗教的行為を排除した瞑想行為がマインドフルネスとなりました。
マインドフルネスは宗教なのか?
マインドフルネスは宗教なのか?という疑問を持つ人もいるかと思いますが、マインドフルネスは宗教ではないと言えます。
マインドフルネスはヨガの瞑想がルーツなので、ルーツ的には宗教から派生したものとなります。
禅もヨガがルーツです。
ヨガというと体を柔軟的に動かす印象があるかと思いますが、ヨガの基本は瞑想です。
ヨガや坐禅と同じ形の瞑想を宗教的マントラや宗教的思想を抜きにして呼吸を行います。
マインドフルネスの大きな違いは、特定の神や仏に帰依したりマントラやお経を唱えることがない点です。
うっすら目を閉じて静かに呼吸をすることに集中します。
この方法は心身ともに健康面でのメリットがあることが言われています。
マインドフルネスのルーツにヨガがあることは、知識として知っておいて損はありません。
マインドフルネス瞑想のメリット
マインドフルネスのメリットは宗教色がないので、どんな信仰の人でも取り組める点です。
心が落ち着かない、いつも不安がある
こういう人がマインドフルネスに取り組むと精神的な負担を軽減することができると言われています。
マインドフルネス中はいろいろと余計な心配事や考え事が湧き出てくると思いますが、次第に何も考えない無の状態に集中します。
反すうや心配は、うつ病や不安のような精神疾患を引き起こす一因となるが、マインドフルネスに基づく医学的な介入は、反すうや心配を減らすのに有効であると複数の研究が示している。
臨床的にデザインされた世俗的なマインドフルネスでは『判断を加えない』と『現在の瞬間を中心に置く』の2つが特に強調されている。
『判断を加えない』と『現在の瞬間を中心に置く』
この2つはとても重要です。
ありのままを受け止めるということです。
「あれは良いこれは悪い」と主観で判断せずに「事実だけを受け止める」
「良いも悪いもない」と考えることで精神的な負担は軽減されます。
マインドフルネス瞑想のデメリット
マインドフルネス自体にデメリットはありません。
ですが、マインドフルネスを語っていながら妙なスピリチュアルや余計な思想を植え付けたりすることがあると問題があります。
あなた自身が『マインドフルネスとは何なのか?』を十分理解しておく必要があります。
そもそもマインドフルネスも座禅も集まってするものではなく、たった一人でもできるシンプルなものです。
集団で集まって瞑想をする必要はありません。
ひとりでマインドフルネスをしても集中できないようであれば、まだまだ『今ここにあるあなた』に集中できていないということですね。
「みんなでマインドフルネスしましょう!」なんて発信すると一気に宗教臭くなりますね。
やりたい人だけ自由にやればいいと思います。
マインドフルネス(呼吸エクササイズ)は今やスマートウォッチにも機能がありますね。
私は筋トレが終わったらストレッチと一緒に座禅を組んで呼吸をします。
マインドフルネスをするとスッキリする気がしますね。
筋トレの疲れであれこれ考えることもなく、ただ心身をリラックスさせています。
筋トレ中も体を動かすことに集中しているので、悩みやストレスからは解放されています。
そもそもマインドフルネスという言葉にとらわれる必要もないと思いますよ。
宗教や信仰のデメリット
日本には神社やお寺に行く習慣がある人が多いので、無宗教のつもりでも宗教観というのは知らず知らずのうちに持っている。
困ったことや願いごとを神社やお寺でする人も多いでしょう。
私の以前はそうしていましたが、今は以前ほど神や仏に頼ることがなくなり”アトラクション”として楽しむようになりました。
参拝はするけど何も願わず御神籤も引かない。
これには理由があり「この世で望むことがひとつもなくなった」のがひとつの理由で、私自身が大きな不安がない状態です。
人間が作り出した宗教や信仰はほとんどが”都合のいいまやかし“なので、そのところをふまえてどう自分や周りに人にとってポジティブに捉えられるかというところがポイントです。
今までの歴史や文化は尊重すべきですが、 今の時代強い心を持っていれば宗教や信仰は不要です。(しかしこれがなかなか難しい)
私自身、国内や東南アジアのいろんな寺院や教会に足を運んで、いろんな国の宗教観を見てきました。
歴史には『現代まで人類が何を考えて生きてきたか?』が詰め込まれています。
科学や心理学や哲学が確立されていなかった頃は、世の中がどうなっているかを理解するところから宗教というのは生まれたと思う。
宗教や信仰のデメリットは自分の頭で考えなくなること。
この世がどうなっているかを自分で考え理解することが生きやすさにつながる。
自分の人生を何ひとつ他人に任せることはできない。
他人のせいにして解決することなんかひとつもない。
自分に降りかかってくることは100%自分が起こしていると思った方がよい。
これが自分の人生をコントロールする秘訣であり自由な生き方も選ぶことができる。
「自分がやる」
人生にはこれしかない。
そもそもマインドフルネスという言葉にとらわれる必要もないと思いますよ。