人は居場所を見失ったときに「死にたい」と思うのだろう。
自分なんか消えて無くなりたい。
自分なんか無価値だ。
生きている資格などない。
別世界に行きたい。
大抵は人間関係の苦しみから「死にたい」と思うようになる。
私の場合もそうだった。
悩んで苦しんで消えたいほど苦しかった。
これを「本気で死にたいのか?」と疑問に思う人もいるかもしれないけど、死にたかったことは確かだ。
「本気で自殺したい」ってなんだろうと思う。
死んでしまった人と死ななかった人がいるだけだ。
死にたいというより「これ以上生きたくない」と言った方がいいかもしれない。
これ以上生きるのが辛い。
どうすればいいのか?
死ぬの?
いや、「4人に1人は本気で自殺したい」と思っているらしい。
むしろ私は普通じゃないか?
4人に1人の1人の方だったってだけの話だ。
そんなのむしろ普通だ。
無用途人間だったってだけだ。
生き辛い方ってだけだ。
辛いのは自分だけじゃないだろう。
だけどこの辛さの身代わりになってくれる人はいない、あははは。
「消えたい」生きるのが苦しいと思う原因と向き合う方法
「人生とは思い通りにいかないことばかりだ」と心得る。
生きているこの世界を変えてくれるのは他人ではなくあなたの思考しかない。
「なぜだろう?なぜこう思うんだろう?」
悩みが深くなればなるほど、¥身体がおかしくなった。
不眠症や自律神経失調症。
外を歩けば横断歩道で車に吸い寄せられそうな感覚を覚えたし、電車のホームではホームに走りこんでくる電車に吸い寄せられるような気がした。
こんな感じでみんな飛び込むのかな?
「本気で自殺したい」なんて思わなくても、おかしくなれば勝手に足が動いちゃうのかな?
この世は地獄だ。
生きているだけで税金は取られるし・・・
20代の行方不明者が増えている
探偵事務所の方から詳しい話を聞く機会がありました。
探偵事務所の仕事は妻の浮気などの不倫調査以外に多いのが、20代の行方不明者の調査だそうです。
社会に出て親元を離れ、でも思った以上にサラリーマンは辛く、会社を頑張りすぎたり、会社をサボったり、会社を辞めてしまったりしても、親元に帰ることができず行方をくらますのだという。
親元に帰ることができないんですね。
そして親が気がついたときは子供が勤める会社から連絡があり
「出社してきませんがどうなってますか?」
とか、アパートの大家さんから
「賃金滞納していますが、どうなってますか?」
と、連絡が来て行方不明が発覚するそうです。
私がとった行動その1<食事を改善する>
さすがにやばいと思った私は改善できるように行動し始めた。
自分で料理をするようにした。
セロトニンが増える食事をするようになった。
セロトニンを増やす食べ物
牛乳・チーズ・ヨーグルトなどの乳製品
豆腐・納豆・しょうゆ・味噌などの大豆製品
カツオ・マグロなどの魚類アーモンド・ピーナッツなどのナッツ類
バナナや、卵など
私はこの中から近くのスーパーで手軽に買える、豆腐・豆乳・バナナを毎日摂るようにした。
そして自分で料理を作ることにした。
- 手順良く美味しく作ることに集中する。
- レシピ本を勉強する。
- 食べたいものを自分で作って食べる。
こういった一連の思考と動作が脳にもいいし体にもいい。
不思議と体の負担になる様な、甘すぎるものや脂っこいものは食べたくならなかった。
セロトニン不足はサプリメントでも補うことができます。
セロトニンが不足していると、不安やだるさを感じよく眠ることができなくなります。
セロトニンを取ることが大切です。
そしてよく眠ることです。
私がとった行動その2<毎日軽い運動をする>
その頃はマラソンをしていた。
筋トレもしていた。
うっすらと6パックに腹筋が割れた。
身体を鍛えているからといってメンタルが強くなるというのは間違いだと思う。
身体を鍛えても心は鍛えられないからだ。
特に一人で孤独に運動をしている場合は。
だからといって運動をしないよりも運動をした方がいい。
食事の改善と軽い運動を続けることで徐々に体調は戻っていった。
歩く習慣には自律神経を整える働きもあるといわれている。
もう車や電車に吸い寄せられる様なことはなくなっていた。
だからといって生きづらさがなくなるわけじゃない。
社会という地獄はいつも隣にいた。
「私は何のために生きてるんだろうか?」
「誰かに愛されているのだろうか?」
愚問は尽きない。
私がとった行動その3<心の勉強、心の成長>
もっともあやしく、そして人生においてもっとも役に立ったのが心の勉強だった。
宗教・心理学・スピリチュアル系、興味のある本を片っ端から読みまくった。
100冊以上は読んでいます。
占い系は興味なかったからそっちに行くことはなかった。
そういえば人生を通して、生きづらさを抱えた人とよく出会いよく話すことも多かった。
ネット越し、リアルに関係なく。
一時期はメンタル系の掲示板の管理人もしていたので、「生きづらさ」を感じている人がたくさんいることは知っていたし、自分もまたその一人だった。
掲示板の管理人をしていると、IPアドレスなどで2人以上のハンドルネームを使って自作自演をしている人がいることもすぐにわかる。
それも黙って見守るのが管理の仕事だ。なぜなら、掲示板を追い出してしまうと、その人の居場所がまた一つ失われるからだ。
問題がない限り黙って見守る。
心の勉強
他人と自分の違うところ
心のことはわからないことばかりだった。
スピリチュアル系の本はマヤカシが多い
祈っても願っても何も変わらない!
変えることができるのは具体的な行動だけ。
天使とかチャクラとか前世とか来世とか引き寄せの法則とか、手当たり次第だったからいろいろゴッチャゴチャに知識を詰め込んだ。
うーん、そうか?なんか違うなぁとか、いろいろ疑問に思った。
「そんなので幸せになれるわけねーじゃん!」というものも多かった。
その中でひとつだけ腑に落ちるものがあって、それがホ・オポノポノだった。
「人生において起こること全て自分の責任である」
これはホ・オポノポノの基本的な考えだ。
「ありがとう」「ごめんなさい」「許して下さい」「愛しています」と唱えることよりも、全ては自己責任という考え方が気に入った。
これで何となく人生の本質が見えた。
ホ・オポノポノの本、いろいろあるけどこれがいい。
というのは、これはカマイリ・ラファエロヴィッチ氏の生き方が書いてあるからだ。
生きていく上でのいろんな問題は、他人が与えた「どうにもできないもの」と思い込んでいた。
いろんな問題が「自分の責任」において起こったものなら、自分が何とかすりゃ何とかなるんじゃないの?
そう思うと、生きるのが楽になりました。
私がとった行動その4<禅・仏教>
宗教の話になると嫌悪感を示す人も中に入るかもしれません。
ですが、仏教は「生きるための心理学」だと思っています。
流行りのスピリチュアル系をぐるっと回ると仏教にやっぱり帰ってきた。
正直、仏教に興味なんてなかった、若い頃は特に。
いまでは生きていく上での最も良い教科書となっている。
日本人は否が応でも、仏教の教えは染み付いてるのね、なんとなく。
その何となくをハッキリさせていくと生きるのが楽になっていた。
仏教って、死んだ人のためのものだとお思ってたんだけど、そうじゃなくて、生きやすくするための「教え」だったんだね。
それをずっと勘違いしてた。
難しくてわかりにくそうな禅の世界・思考をわかりやすく書いてくれています。
ミニマリストって流行ってるけど、禅生活がそれですね。
この本を読み進めていくと自分の「エゴ」「利己的」な考えが自分自身を苦しめていたことを知ります。
やっぱり心が弱かったんだね。
「強がること」と「強いこと」は違うんだ。
ちなみに禅の起源は古代インドのヨガまでさかのぼる。
まとめ
本気で死にたいと思ってから、「こんなに苦しく生きるのは嫌だ」と思ってから、食事と運動で体調は戻った。
心が強くなるまではかなりの年月がかかった。
10年ぐらいかな。
それは私にとって必要な時間だったし必要な経験だった。
その後きちんと心理学スクールにも通い学ぶ事ができた。
どんなに心を強くしても、強くなればなるほど大きな壁にいくつもぶちあたった。
ある意味自分はクソ真面目過ぎた。
一本どころか100本ぐらいネジをゆるめてバカになってみると楽だった。
この悩みは何やかんやと10年ぐらい付き合っている。
最近本当の意味で楽になってきた。
心を学ぶ時間がなければ本当に死んでいたかもしれない。
この世は油断してると幸せなんかはあんまりなくて、むしろ地獄というのはこの世のことなんだ。
生まれ落ちた時から 居場所などないさ。
やっぱりこの世は地獄だし
地獄を地獄として生きるか?
地獄を極楽として生きるか?
全部自分で選べるんだ。
鬱になったら鬱として生きる。
誰もが死ぬんだから怖いこともない。
そう、生きて死ぬだけだ。
何も不思議じゃない。
嘘でできた世界が 目の前を染めて広がる
ただ地獄を進むものが 悲しい記憶に勝つ
作り物だ世界は 目の前を染めて広がる
動けない場所から君を同じ地獄で待つ 同じ地獄で待つ
この世界がどう見えるのかはあなたの『思考』によってまったく変わる。
生死を彷徨った経験がある星野源さんの歌詞世界は刹那的で仏教的・禅的世界観が見えて力強い。