大阪・岸和田城の行き方 大阪南部観光スポット

岸和田城 画像

以前から岸和田城に行ってみたいと思っていたのですが、近い故になかなか行く機会もなく、この度ようやく行ってきました!

思ったよりもみどころがありましたので紹介します。

目次

岸和田城に行ってみた!

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岸和田城 〒596-0073 大阪府岸和田市岸城町9−1

岸和田城 入場料・駐車場

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  • 開場時間 午前10時〜午後5時(入場 午後4時まで)
  • 入場料 大人300円 中学生以下無料
  • 休場日 毎週月曜に(祝日開場)・年末年始・臨時休場あり
  • 駐車場 南側に駐車場あり 1時間まで無料、以降1時間毎に100円
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岸和田城主と由来

岸和田城がいつ頃、誰によって建てられたのかはまだわかっていないという。(びっくり!)

戦国時代末期(16世紀半ば)には当時泉州地区を治めた松浦氏の居城にになっていた。

天正13(1585)年、豊臣秀吉の叔父、小出秀政を城主とし、秀政は城下町と城郭の整備にかかり、天守閣も建てられた。

寛永17(1640)年、摂津高槻から岡部宣勝(和泉岸和田藩の初代藩主)が入城し、以来、明治維新まで岡部氏が13代にわたって岸和田藩を治めた。

文政10(1827)年、落雷により天守閣が焼失。

明治4(1871)年、廃藩置県により岡部長職は東京に居住し、岸和田城は廃城となる

昭和29(1954)年 鉄筋コンクリート作りの連結式望楼型3重の復興天守が再建される

(参照:岸和田城 – Wikipedia

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庭園側から一望した岸和田城
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重厚な門が時代と戦国時代を感じさせる。

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ずっしりとした門扉
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入り口付近に日本酒を造る大釜
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石畳の階段を上がれば岸和田城天守閣の入り口だ。

ここで入場料を払う。

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場内には実際に使われていた鎧兜や、藩主直筆の達筆な書などがたくさん展示されており、非常に見応えがある。

絵心のあった藩主もいて見事な絵も展示されていた。

戦さの面だけの印象があるが文化人でもあったんだと思うと興味深い。

岡部家の家系図もあり、子供の中には「女子」「某」というのもあった。

生まれても名前をつけなかったのか、家系図に残っていないのか興味深かった。

最後の藩主、岡部長職(ながとも)は18歳(明治4年)の時に立派な詩(至極達筆!)を書き残して東京に移住している。

本当に立派だ。

その後は外務次官、東京府知事などを務めたそうだ。

私は書道にも興味ああるので、当時の藩主が書の達人であったことは本当によい刺激になりました。

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天守閣の3階から大阪湾側の眺め
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天守閣の上から堀を眺める
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入り口の門を内側から

岸和田城庭園 八陣の庭

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岸和田城庭園、八陣の庭は国指定名勝となっています。

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形や石の配置、全てに意味が込められています。

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天守閣の上から見た庭園

中心が大将

それを取り巻くように天陣・地陣・竜陣・虎陣・風陣・雲陣・鳥陣・蛇陣が配置されている。

岸和田城 パノラマ画像

天守閣3階からは大阪を一望できる。

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岸和田市立二の丸広場観光交流センター

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岸和田城の横にレストラン「クラブ・コントラーダ」は閉店し、現在は『岸和田市立二の丸広場観光交流センター』となっています。

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岸和田市立二の丸広場観光交流センター前の時計台

岸和田城 桜の見ごろ

4月上旬 ソメイヨシノ

岸和田城 結婚式

岸和田城を使った結婚式プランがあります。

予算 25万円〜

内容・お問い合わせは、各リンク先へ

岸和田城は大阪南部観光の代表的なところです。

近くにきたときは是非一度立ち寄って歴史を感じてください。

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